2019年


ーーー6/4−−− 落石の恐怖


 
若い頃山岳会に所属していた年配の男性と、山の話をした。登山中の怖い体験を話すうちに、落石の話になった。

 道を歩いて登るだけの登山なら、落石を経験することは滅多に無い。ところが岩壁登攀となると、落石はいわば付き物である。自然に石がずれて落ちてくることもあるし、上にいる登山者が誤って石を落とすこともある。いずれにしろ落石はたいへん危険なものである。

 指先くらいの小さな石なら、ヒュッという音で落ちてくる。握りこぶし大ほどの石だと、ブーンという音で飛んでくる。小さな石でも、当たれば大怪我につながる。

 岩場の途中で休憩をしたとき、メンバーの一人は暑いからとヘルメットを脱いで地面に置いた。そのとき落石が襲った。我々は岩壁に張り付くようにして落石を避けた。背後をいくつもの石がビュンビュンと落ちた。騒ぎが収まった後、地面に置かれていたヘルメットを見たら、直径数センチの穴が開いていた。もしこのヘルメットが被られた状態で落石を受けていたらと想像すると、ぞっとした。

 一番怖い思いをしたのは、穂高岳の滝谷でのこと。C沢左俣という狭くて急なルンゼ(薬研状の谷)を下っていたら、上部岩壁で落石が発生し、ルンゼに沿って落ちてきた。落ちてきたと言っても、転がって来るのではない。空中を飛んでくるのである。時折谷底や側壁に当たってバウンドするのだが、そのときに火花が出て煙が上がる。ルンゼは騒然とした状況になった。

 大小様々な石が続けざまに飛んでくる。それを避けようとしても、身を隠せる場所は無い。せめて身をかわして当たるのを防ぎたいが、急峻な場所なので動くこともままならない。身を低くすれば、飛んでくる石は避けられるが、たまたまバウンドする地点に当たったら、アウトである。

 しばらくすると、落石は収まった。ルンゼの中はもうもうたる煙で、きな臭い匂いが漂っていた。メンバー3人は近寄って無事を確かめ合った。一人の先輩が、「大竹のすぐ横を、直径1メートルくらいの岩が飛んで行ったけれど、大丈夫だったか?」と言った。私は「大丈夫です」と答えた。笑顔で答えたつもりだったが、両足がガクガクと震えていた。

 行動を続行してルンゼを下って行ったが、歩いている間も足の震えは止まらなかった。





ーーー6/11−−− 木坊主


 
木工イベントで子供の木工体験をやって欲しいと言われ、初めての事だが引き受けることにした。イベント会場に持ち込める機材は限られるので、普段工房でやっている作業の感覚では望めない。はるかに小さな規模で、手作業で、しかも安全に、となると、いったいどのようなものが可能か。

 あれこれ思案するうちに、突然ひらめいたものがあった。直径2〜3センチの木の枝を、長さ6センチに前後に切り、その一方の端を機械で荒く角を取る。そこまでは工房で行う。そのように準備した素材を会場に持ち込み、手加工で丸く滑らかに仕上げて最後に顔を描くまでを体験させる。出来上がったものはツルツル頭で、まるでお坊様のよう。「木坊主」と名付けた。

 使う道具は、小さな作業台、素材を固定する治具とクランプ、木ヤスリ、南京鉋、サンドペーパー、それに顔を描く焼きペンと仕上げに塗る桐油。

 治具と南京鉋は今回用に自作した。鉋を自作するのはちょっと面倒だが、カッターナイフの刃を使う方式で4本作った。木ヤスリは工房に何本もある、使い古したノコヤスリ。この程度の加工には十分に役立つ。焼きペンは、主として製作した家具に製作年を印するために使っているもの。これで木に模様を描けば、インクペンとは違った味があり、また滲んだりしないので具合が良い。

 作業台は、元々は組み立て式の展示台として作ったもの。それは堅牢な構造なので、作業台として使うこともできる。分解すれば一人で持ち運びができるサイズである。このような道具立てなので、移動や設置に大した手間はかからない。身軽に実施できるというのは、大きなメリットである。

 大勢の子供たちが押し寄せた場合に備えて、同時に4人が作業できるように準備をした。素材は100ヶほど作った。体験は一回につき300円という設定にした。指導をするのだから、これでは安すぎるという気もしたが、イベントの性格からしてこれくらいが妥当ではないかと落ち着いた。木工体験をメインに参加者を募集する企画ならいざ知らず、展示やパフォーマンスを主としたイベントでは、通りがかりの人を引き付けるには、安すぎるくらいでないと難しかろうと。

 さて、実際に参加した子供は、二日間で二人だけだった。何千人もの来場者があるイベントで、会場には人が溢れていた。その状況からすれば、極めて低調な結果だったと言えよう。初日の朝、ブースを回ってきた主催団体の担当者が、「わざわざ木工体験のために仕込みまでして頂いて恐縮です。ただ、こういうイベントなので、体験希望者はあまり多くないかも知れませんが、その際はご容赦下さい」と言ったが、まさにその通りとなった。

 それでも、たった二人でも、参加してくれた子供がいたのは嬉しかった。熱心に作業をする子供を見て、準備をした甲斐があったと思った。出来上がった品物を手にして喜んでいる子供を見て、こちらが幸せな気持ちになった。連れてきた母親が、息子が根気強く作業するのを見て、何か新たな発見をしたようなことを口にした。そういうシーンに接したのも嬉しかった。

 冒頭に述べたように、木工体験を実施するのは、今回が初めてだった。初めてだから、期待外れな結果に終ったのは当然だとも言える。今回の実施で多少の感覚は身に着いたから、次にやる機会があれば、もっと別の展開も可能な気がする。収入を考えれば意味が無いような事柄だが、あの子供たちの嬉しそうな顔を思い出すと、また機会が来ることを願う気持ちにもなる。




ーーー6/18−−−  品物探し機


 
スマホを見失ったとき、別のスマホから電話をかけて、その呼び出し音で場所を見付けることがある。それと似たような原理を使って、捜索に特化した道具がある。Item Finder(品物探し機)という名がついた商品である。

 親機と子機がセットになっている。親機のボタンを押すと、無線が飛んで、子機からピーピーという音が出る。子機を無くし易い物、たとえば鍵などに付けておけば、その音で見付かるというわけ。

 父の日のプレゼントに、長女から届いたのは、親機1ヶに対して6ヶの子機が用意されている機種だった。添えられた紙片には「まだ物忘れをするような歳ではないと思うけど・・・」という気遣いの言葉が記されていた。いやいや既に物忘れは日常茶飯事になっている自分である。

 早速、行方不明実績ナンバーワンの道具に付けた。小型の巻尺。工房ではなく、自宅で使っているものだが、頻繁に姿をくらますきかん坊である。無くなるたびに探し、見付からずにイライラしてきた。だが、どういうわけか忘れた頃にひょっこりと出てくるものでもあった。現在は机の引き出しの中にある。それにItem Finderの子機を付けた。これでもう、くだんの巻尺は完全に私の支配下に入った。

 ほかに日常の生活の中で、見失い易いものは何かと考えた。皮肉めいた発想だが、善意、親切、寛容、忍耐、誠実などという言葉が浮かんだ。大切なものであるのは分かっているが、いつの間にか何処かへ行ってしまう。ある時無くしたことに気付いて、取り戻したいと思う。しかしどうしたら探し出せるか。押して応えてくれるボタンは、何処にあるのか?




ーーー6/25−−− 長野のソウルフード


 
ローカル番組で、長野のソウルフードは何か?というのをやっていた。「おやき」、「野沢菜」、「蕎麦」など、いかにもといった感じのものが並んだ後、「焼きそば」というのが現れた。これは意外だったが、長野市で以前から食べられている「あんかけ焼きそば」が紹介された。

 ある店がその焼きそばの先駆けとなり、今でも人気があるという。長野市民で、30歳くらいより上の年齢の人なら、一度は口にしたことがあるだろうとの話。やみつきになる料理で、週に何度も食べに来るお客も多いとか。

 その番組が放送された翌日、たまたま用事があって長野市へ出掛けた。その焼きそばがとても気になったので、夕食には少し早い時間だったが、番組に登場した店に向かった。ネットで所在地を調べてあったので、迷わず到着した。

 店内には数人の客がいた。カウンターに座って周りを見ると、半数以上の客が例の焼きそばを食べていた。すぐ横に座っていた中年の女性のところにも焼きそばが届けられ、すぐにガツガツと食べ始めた。見た目には、なんだかとても美味しそうだった。量も値段の割にはたっぷりで、多過ぎるくらいに見えた。

 さて私の所にも来たので、期待に胸を膨らませて食べ始めた。かなり味付けが甘かった。しかも濃い。そういうことはネット上の評判で知っていたが、想像を超えるものだった。途中まで食べたら、ぐっとペースが落ちた。

 甘くて持て余したら、特性のカラシ酢ソースをかければ良いと、ネットの記事にあったのを思い出した。そう言えば、隣の女性も途中でソース瓶に入った黄色い液体をかけて、かき回して食べていた。その黄色い液体がカラシ酢ソースなのだろう。私の前にも容器があったので、試してみた。酢の味が加わったので、甘味は緩和されたが、全体的なくどさは一層増したようにも感じられた。なんとか食べ終わったときには、額に脂汗が浮かんでいた。

 美味しいとかまずいとかは、個人の感覚によるものだから、決め付けるわけにはいかない。ここでは、私の好みには合わなかったと言うに留めておこう。それにしても、ちょっと驚きのソウルフードであった。

 千葉で暮らしていた頃、山仲間に私より一回り年配の男性がいて、出身は長野市だった。その人はよくこんな言葉を口にしていた。「甘いものは美味いもの、美味いものは甘いもの」。今回の焼きそばの味は、その言葉とまさに符合して、地元の人の味覚を代弁しいるような気がした。そういう意味では、たしかにソウルフードと呼べるものだとも思った。

 ところで、英語のsoul food が意味するのは「米国南部の黒人の伝統的な料理」であって、日本で使われているような「ある地域で伝統的に食べられている料理」、「その地域の出身者にとって特別な思いがある料理」という意味は無いらしい。英語圏のサイトで調べても、そういう記述は発見されなかった。「ソウルフード」は、和製英語の一つのようである。